下村寅太郎

[史料を訪ねて]一覧

石川県西田幾多郎記念哲学館の瞑想の空間

下村寅太郎-京都大学の下村寅太郎文書

公開日
2017/03/30
取材日
2016/10/13

“宝の山”と目される膨大な史料

下村寅太郎は京都帝国大学で西田幾多郎や田辺元に師事し、1945年(昭和20年)から東京文理科大学で教授を務め、1949年(昭和24年)からは東京教育大学文学部の教授となった。1995年(平成7年)まで存命だったことから、“最後の京都学派の哲学者”とも言われている。

膨大な資料の一部

その下村関連の史料が、数年前に下村家から京都大学文学部の日本哲学史専修に寄託された。下村自身が書いた原稿などは、貴重史料として『文学研究科図書館』の貴重書室に収められたが、それ以外のものは現在、日本哲学史専修の上原麻有子主任教授の研究室に保管されている。寄託された当時の主任教授・藤田正勝氏から上原教授へ引き継がれたそうだが、上原教授も事情がよく分からないということで、「整理を手伝ってほしい」と依頼された。確か2015年のことだったと思う。

上原研究室を訪ねると、史料の入った段ボール箱が積み上げられていた。10箱以上とあまりにも量が膨大だったので、その時は30分間程ざっと見るだけに止まったが、そんな短時間でも貴重な史料がいくつか見つかっている。たとえば、《西田講義ノート》と書かれた箱に、明らかに西田の筆跡で書かれたノートがあった。

「西田講義ノート」などと書かれた段ボール

ほかに、田辺の筆跡だと分かるノートも数冊ある。田辺のノートと言えば、ここで見つかったものと全く同じタイプのものが、群馬大学の『田辺文庫』に数冊残されている。田辺は読書の際、同じノートを愛用して書き込みをしていたらしい。京大で見つかったものは新品同様だが、群馬大の方のノートはかなり傷んでいた。おそらく保存状況が違っていたためだと思われる。

じつは群馬大の方に、ハイデガーのオントロギー(存在論)についての《田辺ノート》が残されていたので「ハイデガーがマールブルグでオントロギーの講義をした際、留学中の田辺が受講したのではないか」という指摘もあったのだが、どうも内容が合わないので、何ものか分からず困っていた。京大にある新品同様のノートはどう見ても戦後の品。田辺のドイツ留学は戦前。おそらく群馬のノートは、田辺が戦後にハイデガーを読んだ時に書き込んだもので、保存状態が良くなかったためにボロボロだったのではないか。…といった研究にもつながるので、上原研究室で見つかった田辺関連の史料は、非常に重要と言えるだろう。

田辺宛の書簡

ちなみに下村の史料の中には、田辺宛の書簡も3000通以上あり、西田幾多郎や三木清から田辺に宛てた書簡も含まれている。田辺宛の書簡については、だいぶ前に明治大学の竹田篤司教授や、長岡工業高等専門学校の島雄元教授(所属・肩書はそれぞれ当時のもの)によって調査・リスト作成が行われているが、これがそれだ。極めて重要な史料だが、なぜそれを下村が持っていたのかは分からない。

本取材にご協力いただいた方

京都大学大学院 文学研究科 日本哲学史専修


本探訪レポートは、訪問者 林 晋の口述を元にして、林監修のもとでライター高橋順子が原稿を作成しました。

西田幾多郎の
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