京都学派は京都帝国大学文学部哲学教室の西田幾多郎、田辺元を中心にして大正・昭和期に形成された日本近代思想史を代表する哲学者集団である。「京都学派」という名称は、他の学者集団に対して使われることも多く、また、「本家京都学派」とでも呼ぶべき京大文学部の京都学派の場合でさえ、その解釈は様々である。たとえば、京都学派の哲学を「無の哲学」と解釈する立場に立てば、マルクス主義の立場にたつ戸坂潤は、京都学派の批判者ではあっても京都学派のメンバーではない。しかし、一方で、マルクス主義に傾倒した戸坂や三木清などを京都学派左派と呼ぶ人もいる。
本アーカイブでは、「京都学派」という言葉を思想の傾向ではなく人的つながりでとらえて、「西田・田辺という二代の京都帝国大学哲学教室教授のもとに学び、時に対立しながらも互いに影響を与え合った思想家たちの集団」と定義する。具体的にメンバーをあげれば、中心となった西田幾多郎、田辺元、その西田・田辺に学びながら独自の思想を育み、時には師に影響を与えることもあった、務台理作、三木清、戸坂潤のような人たち、そして、京都学派最後の世代、西谷啓治、高山岩男、高坂正顕、下村寅太郎たちである。
務台、三木、戸坂を重要なメンバーとして挙げているように、この「京都学派の定義」は、思想傾向の近似性ではなく、反発という関係も含めて思想家と思想家の直接の人間的関係性に注目したものである。本アーカイブが「京都学派」と呼んで注目しているものは、1910年の西田幾多郎京都帝国大学文科大学助教授着任に始まり、1945年の西田の死去と田辺の京都帝国大学教授退官で、そのピークが終わりを迎えた、西田・田辺を中心とした多数の思想家たちの濃密な交流のダイナミズムなのである。
このような観点からは、西田・田辺に教えを受けたのでも、強い影響を受けたのでもないが、彼らの京大文学部における同僚であった波多野精一、九鬼周造、和辻哲郎のような人たちも、さらには、田辺の元で哲学を学んだキリスト教神学者北森嘉蔵、さらには西田の講義でラッセルに接し、それに傾倒したと言われる谷川徹三のような人たちが、その視界に入ってくる。
現在、本アーカイブの対象としている思想家たちの一覧が、これである。この一覧には今は含まれていないが、京都学派の思想家とみなすべき人々は少なくない。この一覧は順次拡張する予定であり、特に、本アーカイブで把握できていない史料の存在が判明すれば、優先して、その人物と史料についての情報を追加する。その様な史料の所在を把握されている方は、 トップページのフォーム「京都学派情報の在処、お寄ください」から、あるいは、メールで kyoto.gakuha.archive@gmail.com へ御一報ください。
京都学派の代表的な思想家一覧