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西田幾多郎アーカイブ
西田幾多郎は,東洋的思想の地盤の上で西洋哲学を摂取し,「西田哲学」と呼ばれる独自の哲学を築き上げた.その哲学は,近代日本における最初の独創的な哲学と評される.西田の思想の背景には,確かに,東洋的宗教,とりわけ,西田自身が若い頃から行じていた禅仏教の宗教的体験があった.西田 が,従来の西洋哲学がもっていた〈主観と客観との対立〉〈現象界と実在界との区別〉といった前提を批判し,「何処までも直接な,最も根本的な立場」に立と うとするのは,その背景からである.しかし,西田哲学は決して,宗教的体験を単に直接的に記述したものではない.西田が企図したのは,西洋の諸哲学と同じ次元 で語られる一つの「哲学」であった.西田が目指すのは,現実の世界の構造を何処までも「論理的」に解明することである.「純粋経験」「無の場所」「行為的 直観」「絶対矛盾的自己同一」といった独特の用語も,従来の論理によっては捉えることのできない「根本的」な事実を,真に具体的に捉えることのできる「論理」として構想されたものに外ならない.西田のこのような哲学は,宗教・自己・身体・生命・歴史・芸術・科学等,様々な観点から注目を集めている.(京都大学文学研究科日本哲学史専修ホームページより転載・一部変更)
略歴
年 | 出来事 |
---|---|
1870 | 6月17日( 太陰太陽暦 明治3年5月19日) 石川県河北郡宇ノ気に生れる. |
1894 | 東京帝国大学選科卒業 |
1895 | 石川県能登尋常中学校七尾分校教諭着任 |
1896 | 金沢第四高等学校講師着任 |
1897 | 山口高等学校教務嘱託着任 |
1899 | 山口高等学校教授着任 |
1909 | 学習院教授着任 |
1910 | 京都帝国大学助教授着任 |
1929 | 京都帝国大学定年退官.以後,鎌倉と京都に在住. |
1945 | 6月7日死去 |
西田史料について
西田幾多郎の残した原稿,日記,書簡などの史料の多くは西田幾多郎全集に収録されているが,その原本は様々な場所に分散して所蔵されている.原稿類の最も大きなコレクションと思われるものは,本アーカイブで公開している京都大学文学研究科図書館所蔵のコレクションである.このコレクション以外の図書館・資料館などの公的機関のコレクションとしては,石川県西田幾多郎記念哲学館,石川近代文学館,学習院大学史料館,などのものが知られている.しかし,これらの公的コレクションの他にも,西田の弟子たちの子孫宅,あるいは,弟子達が奉職した大学の図書館・文書館・博物館などにも西田史料が所蔵されていることが知られている.
意外なことに,これらの全貌を把握する史料学的作業はなされたことがなく,西田幾多郎史料の全貌は今もなお不明のままである.これは書簡を除く圧倒的多数の史料が弟子達により保全された田辺元史料と大きな対比を成している.この様な情況のなかで,西田史料の現状を最も把握しているのは,創業者岩波茂雄が西田との深い個人的関係を持ち,西田全集を現在も改訂を重ねつつ出版している岩波書店であろう.しかし,研究機関ではない岩波書店は,その史料の全体像の把握の努力はしていないし,また,それを求めることもできない.
京都学派の思想群は,日本近代の文化遺産とでも呼ぶべきものであり,その中心に位置していた西田幾多郎という存在の大きさは,肯定するにせよ否定するにせよ,日本近代思想史上,比肩するものがないことは確かである.そのような人物の史料の全貌が,現在もまだ十分に把握されていないということは残念なことであり,また,驚くべきことでもある. 現代日本の哲学界には明治以後の日本の哲学への思想史的観点があまり見られない.これは明治維新により明治以前に決別してしまった近現代日本社会がかかえる問題の一つだろう.西田哲学が「善の研究」として世に知られてから一世紀がたち,また,京都学派の第二次世界大戦への関与という政治的問題も客観的に検討可能となるだけの時間がたった.京都学派の哲学を中立的史学的研究の対象すべき時代になったのである.思想史研究者などの史学研究者が哲学者に協力して,この空隙を埋める努力がなされるべきであろう.
本アーカイブが提供する西田幾多郎史料は下の「史料一覧」の通りである.これらは最大の西田幾多郎史料コレクションと思われる京都大学大学院文学研究科図書館所蔵の西田の手書き原稿とその関連史料のすべてをデジタル画像化したものである(ただし書簡類は除く).これらは現在までに公開された西田史料としては,最大なものではあるが,上に説明したように,その存在を知られる西田幾多郎史料の一部分に過ぎないのである.いつの日にか他の西田史料のすべても同様に広く公開されることが望まれる.
これらのデジタル資料について技術的な説明をしよう.説明では,一枚一枚のデジタル画像を「シート」と呼ぶ.また,それらが集まってできた,個々の論文原稿などを「史料」と呼ぶ.
各史料は「西田用紙」と「印刷物頁」という二種類のシートからなる(一部に一種類のシートしかない史料もある).「西田用紙」と呼んでいるものは,例えば,01_0001.jpgのようなシートであり,その史料が雑誌等の論文として書かれた際の原稿である.これらは,小さく「西田用紙」と印刷された西田専用の原稿用紙に書かれているため,「西田用紙」と名づけた.一方,「印刷物頁」と呼んでいるものは,その論文が哲学論文集に収録される際に,雑誌から切り取った論文のページに“校正”を加えたもの,つまり,西田が内容の修正を行なったり,出版関係者が印刷上の指示を書き込んだものである.たとえば,雑誌「哲学研究」第百四十五号の374,375頁からなるシート01_0013.jpgが「印刷物頁」の一例である.なかには,相当量の手書きの追加が別紙に書かれて貼り付けられており,「印刷物」という名称にはそぐわない場合もあるが「シートの主体が印刷物の頁である」という意味で,それらも「印刷物頁」に分類している.
各史料には01, 02, 09-1のような「史料番号」がついている.この史料番号は京大文学部図書館でつけた番号である.一部,不整合な番号付けもあるが,混乱をさけるために同図書館の番号付けを,そのまま使用した.
また,京大文学研究科図書館西田文庫には,これらの原稿群とともに,多くの西田旧蔵書が収蔵されている.決められた手続きを踏み許可をとれば西田による書き込みがある貴重書も閲覧可能である. 研究者諸子の便宜のために,その目録をPDF化したものを公開する:
京大文学研究科図書館西田文庫目録 |
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西田文庫目録 |
西田文庫目録続編 |
史料一覧 (史料の利用方法)
出版年 | 史料NO. | 史料名 | 備考 | |
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1928 | 01 | 所謂認識対象界の論理的構造 | 備考 | |
1928 | 02 | 述語的論理主義 | 備考 | |
1928 | 03 | 自己自身を見るものの於いてある場所と意識の場所 | 備考 | |
1928 | 04 | 叡知的世界(哲学體系の一企画) | 備考 | |
1929 | 05 | 直覚的知識(哲学體系の一企画) | 備考 | |
1929 | 06 | 自覚的一般者に於いてあるもの及それとその背後にあるものとの関係 | 備考 | |
1929 | 07 | 一般者の自己限定 | 備考 | |
1929 | 08 | 一般者の自己限定と自覚 | 備考 | |
1929 | 09-1 | 自覚的限定から見た一般者の限定 | 備考 | |
1931 | 10 | 無の自覚的限定、私の絶対無の自覚的限定といふもの | 備考 | |
1931 | 11 | 歴史 | 備考 | |
1932 | 12 | 自由意志 | 備考 | |
1933 | 13 | 形而上学序論 | 備考 | |
1935 | 14-1 | 世界の自己同一と連続 | 備考 | |
1935 | 14-2 | 行為的直観の立場 | 備考 | |
1935 | 14-3 | 図式的説明A | 備考 | |
1935 | 14-p | 哲学論文集、第1、序 | 備考 | |
1937 | 15-1 | 哲学論文集、第2、序 | 備考 | |
1937 | 15-2 | 実践と対象認識 | 備考 | |
1937 | 15-3 | 種の生成発展の問題 | 備考 | |
1937 | 15-4 | 行為的直観 | 備考 | |
1937 | 15-5 | 図式的説明B | 備考 | |
1936 | 16 | 論理と生命 | 備考 | |
1940 | 17 | 日本文化の問題、附録学問的方法 | 備考 | |
1944 | 18 | 物理の世界 | 備考 | |
1945 | 18-p | 哲学論文集第6、扉、序、目次 | 備考 | |
1944 | 19 | 予定調和を手引きとして宗教哲学へ | 備考 | |
1944 | 20 | デカルト哲学について、同附録 | 備考 |