西田幾多郎「悲哀の哲学」の現場(田中上柳町旧宅)
西田 幾多郎京都市左京区 田中上柳町にある西田幾多郎とその家族が、大正元年から大正11年まで住んだ旧宅。そして、それは西田の生涯で最も苦しい時期であった。…続きを読む
京都市左京区 田中上柳町にある西田幾多郎とその家族が、大正元年から大正11年まで住んだ旧宅。そして、それは西田の生涯で最も苦しい時期であった。…続きを読む
西田幾多郎の出身地、石川県かほく市に位置する世界で唯一の“哲学”をテーマとしたミュージアム。西田の遺品、直筆原稿、書簡といった史料が200点以上もずらりと並んでいる。…続きを読む
西田幾多郎は、1909年(明治42年)から1年間、学習院大学で独文主任教授として教鞭を執った。また、西田の孫の幾久彦さんが、学習院大学に通われたという縁があり、幾久彦さんから学習院へ鎌倉の遺宅が寄贈された。…続きを読む
西田は、石川県かほく市の出身であるが、金沢大学(旧制第四高等学校)で教鞭を取っていた経歴があり、また同じく金沢が生んだ偉人木村栄と西田とで交わされた手紙や、館内の展示パネルを通して西田地元の友人たちとの交流の様子に触れることができる…続きを読む
谷川の史料を調べるために常滑へ行こうと思ったきっかけは、『勉強する会』が自費制作で発行している冊子を送ってくださったこと。翻刻の質が非常に高く、会員による随筆なども盛り込まれている。…続きを読む
田辺元の史料を所蔵する『田辺文庫』の一つが群馬大学にある。また田辺が晩年住んでいた北軽井沢の別荘、現在は群馬大学の研修所、および『田辺元記念館』として運営されている。…続きを読む
中井の史料を探すことになったのだが、最初はどこに何があるのか全く分からなかった。中井の研究者である藤井さんに何とか連絡を取り、教えていただいた情報をもとに史料を訪ねることとなった。…続きを読む