田辺元史料/群馬大学田辺文庫と北軽井沢田辺元記念館
田辺元田辺元の史料を所蔵する『田辺文庫』の一つが群馬大学にある。また田辺が晩年住んでいた北軽井沢の別荘、現在は群馬大学の研修所、および『田辺元記念館』として運営されている。…続きを読む
田辺元は西田の助教授として,そして西田退官後は後継者として,西田幾多郎とともに京都学派の中核であった.
田辺は西田幾多郎の思想の最初の理解者の一人であり,当初,西田と新カント派の影響を強く受けつつ思索を続けたが,ドイツ留学中に親交のあったハイデッガーの思想を強く意識するようになる.帰国後は弁証法研究を開始し,へーゲル,マルクスの弁証法を越えるものとしての絶対弁証法を提唱する.その過程で,西田批判を開始し,さらには,絶対弁証法に基ずく独自の哲学体系,田辺哲学を構築し始める. その田辺哲学の最初のものが唯物弁証法との対峙をも意図した社会哲学「種の論理」(昭和9年)である.種の論理の後,田辺哲学は自らの思想と戦争との関係への反省から始まった「懺悔道の哲学」を経て,ハイデガー哲学との対決を意図する「死の哲学」にいたる.田辺の思想には数学や物理学から発想したものが多く,西谷啓治は田辺哲学を「数理と根をひとつにしたところからでている」と評した.その意味で,晩年にいたるまで,新カント派マールブルグ学派の「科学の哲学」を継承し発展させていたともいえる.しかし,その思想のテーマは,数学・科学を遥かに越え,認識論から,弁証法,心身論,実存哲学,政治,社会,さらには宗教,文学をまでカバーしており,また,東洋の思想や実存哲学が強く意識されている.田辺の思想は,この広がりと,その「学」への徹底的指向によって,日本思想史において特異な強い光彩を放っている.西田哲学が現在も盛んに研究され,また,広く読まれているのに比べ,田辺哲学は,ほぼ忘れ去れていたが,没後50年を経て,その見直しが始まり,その現代的な意義も理解され始めており,京都学派の「もう一つの焦点」として西田哲学研究に比べられるような研究の展開が期待される.それは,西田哲学という京都学派の焦点の真の理解に欠かせぬことであろう.
田辺元 オンライン史料アーカイブ
京都大学文学研究科図書館の田辺文庫にある約千五百点の蔵書より、カラー画像やDSCファイル,翻刻を提供可能な史料について順次公開を行っている。
田辺元の史料を所蔵する『田辺文庫』の一つが群馬大学にある。また田辺が晩年住んでいた北軽井沢の別荘、現在は群馬大学の研修所、および『田辺元記念館』として運営されている。…続きを読む
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