田辺元 史料アーカイブ

田辺元は西田の助教授として,そして西田退官後は後継者として,西田幾多郎とともに京都学派の中核であった.田辺は西田幾多郎の思想の最初の理解者の一人であり,当初,西田と新カント派の影響を強く受けつつ思索を続けたが,ドイツ留学中に親交のあったハイデッガーの思想を強く意識するようになる.帰国後は弁証法研究を開始し,へーゲル,マルクスの弁証法を越えるものとしての絶対弁証法を提唱する.その過程で,西田批判を開始し,さらには,絶対弁証法に基ずく独自の哲学体系,田辺哲学を構築し始める. その田辺哲学の最初のものが唯物弁証法との対峙をも意図した社会哲学「種の論理」(昭和9年)である.種の論理の後,田辺哲学は自らの思想と戦争との関係への反省から始まった「懺悔道の哲学」を経て,ハイデガー哲学との対決を意図する「死の哲学」にいたる.田辺の思想には数学や物理学から発想したものが多く,西谷啓治は田辺哲学を「数理と根をひとつにしたところからでている」と評した.その意味で,晩年にいたるまで,新カント派マールブルグ学派の「科学の哲学」を継承し発展させていたともいえる.しかし,その思想のテーマは,数学・科学を遥かに越え,認識論から,弁証法,心身論,実存哲学,政治,社会,さらには宗教,文学をまでカバーしており,また,東洋の思想や実存哲学が強く意識されている.田辺の思想は,この広がりと,その「学」への徹底的指向によって,日本思想史において特異な強い光彩を放っている.西田哲学が現在も盛んに研究され,また,広く読まれているのに比べ,田辺哲学は,ほぼ忘れ去れていたが,没後50年を経て,その見直しが始まり,その現代的な意義も理解され始めており,京都学派の「もう一つの焦点」として西田哲学研究に比べられるような研究の展開が期待される.それは,西田哲学という京都学派の焦点の真の理解に欠かせぬことであろう.

略歴

出来事
1885 2月3日,東京・神田に生誕
1908 東京帝国大学文科大学哲学科卒業
1918 「数理哲学研究」により文学博士(京都帝国大学)
1919 京都帝国大学文学部助教授着任
1922-1924 文部省在外研究員として欧州留学.M.ハイデッガーなどと交流
1927 京都帝国大学文学部教授昇任
1945 京都帝国大学定年退官.以後,群馬県北軽井沢の山荘に住む.
1961 1月,脳軟化症にて群馬大学病院入院
1962 4月29日,群馬大学病院にて死去

田辺元史料について

田辺元史料は,書簡を除けば,その殆どが群馬大学総合メディア情報センター図書館本館田辺文庫と, 京都大学文学研究科図書館田辺文庫に収蔵されている.また,群馬大学による群馬大学田辺文庫の電子化 と公開も一部の史料に対しては行なわれている.以下で,これらのことを説明する.

二つの田辺文庫

田辺には子供がなく死去の際には既に夫人も亡くなっていたので,その遺産の殆どが群馬大学に寄贈された.脳軟化症発病後,前橋の群馬大学病院に入院し,そこで亡くなったからである. 田辺の蔵書中,京大文学部図書館になかったものだけは,京大に寄贈され京大田辺文庫となった.そして,それ以外の蔵書と,原稿,日記,講義メモなどは,北軽井沢大学村の彼の住居(元は夏の別荘)ごと,群馬大学に寄贈された. 田辺の弟子たちは群馬大学に,田辺住居跡に哲学の研究所を設立することを提案したが,これは実現されず(群馬大田辺文庫の弟子達と群馬大の交渉の記録が残されている),現在,田辺の旧宅は群馬大学の研修所となった. 母屋は立て替えられたが,書斎は田辺元記念館として保存されている.

群馬大学・京都大学田辺文庫目録
群馬大学田辺文庫洋書目録
群馬大学田辺文庫和漢書目録
京都大学田辺文庫目録

 

京都大学田辺文庫には約千五百点の蔵書が収蔵されており,群馬大学田辺文庫には,書籍(雑誌含む)約六千点と,日記,ノート,原稿,講義準備メモ,アルバム,その他の史料が収蔵されている. 京大への一部書籍の分割寄贈なども含め,すべて,田辺の弟子たちと群馬大学によって遺品の整理が行なわれたため,史料の散逸は全くといって良いほどないと思われる. 現代史の史料の多くが遺族に相続され,その結果,貴重な史料が遺棄・紛失・散逸して失われてしまうことが多いなかで,この史料群は,その成立の経緯から,稀に見る高品質の遺稿集となっている.

また,蔵書への書き込みが少ない西田に比べ,田辺の蔵書書き込みは質量ともに豊かである. 一例として, 本アーカイブ初代代表の林晋が,種の論理とブラウワー直観主義連続体論の関係を最初に発見した際の書き込みを示す: Heyting, Arend. Mathematische Grundlagenforschung. Intuitionismus. Beweistheorie. Springer, Berlin, 1934,京大田辺文庫所蔵より. 内容については,「日本哲学史研究」2010年9月号,林晋『「数理哲学」としての種の論理』や,「思想」2012年1月号の同じ林の論文を参照して欲しい.この書き込み史料は,京大田辺文庫には原稿,メモなどの手書き史料はないが,京大田辺文庫の書き込みの調査を行なうだけで,手書き史料調査ほどの貴重な未発見の重要な情報が得られるということの実例なのである.これらのことは,林晋「情報の宝庫,二つの田辺元文庫」,岩波雑誌「思想」,2012年1月号,で詳しく論じているので,これも参照して欲しい.

散逸したままの往信 望まれる悉皆調査

西田文庫などの遺稿と比較して,二つの田辺文庫の遺稿は圧倒的な情報量を持つ.しかし,書簡となると事情が逆転する.西田の往信,つまり西田による書簡,の多くが岩波書店により収集され,西田全集で出版されている.ところが,田辺の往信は, 野上弥栄子,唐木順三との往復書簡集に掲載のもの,また,後で触れる竹田篤司を代表とする科学研究費プロジェクトの報告書に掲載された下村寅太郎宛の書簡が公表されているだけである.それ以外の田辺による書簡となると,その所在を把握する努力さえなされていないのである.西田とともに京都学派の中心を担った田辺の書簡は重要な文化遺産であり,それについての情報収集の努力がなされるべきであろう.

往信の状況はこの通りである.一方,来信,すなわち受取った書簡となると,興味深いことに,ここでも西田と田辺で状況が180度異なる.西田は,来信の保存に拘らず,むしろ積極的に破却したことが知られている.一方で,田辺は来信のほとんどを丁寧に保存したものと思われる.その田辺の来信は,下村寅太郎が引き継いだ.そして,下村の没後に,その遺稿集を調査する科研費プロジェクト(竹田篤司代表)の一環として,島雄元により三千を上回る来信書簡の完全なリストが作成された.そのリストは,島雄元: "田辺元資料の整理報告(1)(2)(3)"(長岡工業高等専門学校研究紀要. 35巻収録) として出版され,同プロジェクトの報告書(国会図書館関西館などが保有)によっても出版されている.また,同報告書には下村宛の田辺の書簡が採録されており,田辺夫人から留学中の田辺へのものなど数通の来信が竹田篤司著『物語「京都学派」』に収録されている.

田辺の几帳面さからすると,おそらく,この下村が所蔵していた田辺宛の書簡は,田辺が受け取った書簡の内,彼の思想に関連するものの殆どすべてを含むものと考えられる.現在,この田辺来信書簡を含む,下村寅太郎遺稿集は,京都大学文学研究科図書館が貴重資料として管理している.西田の往信の場合,岩波書店は西田からの書簡の受信者の子孫に依頼し,その資料の画像を撮影をさせてもらい,それを元に全集に西田の往信を収録している.田辺の来信の殆どと思われるものが存在し,すでにそのリストさえ作成されているのである.西田書簡に対して,岩波書店が行っている努力と同じ努力を,下村遺稿集の田辺来信書簡すべてに対して行う悉皆調査を実施すれば,相当数の田辺往信を電子画像として収集することが可能ではないだろうか.

実際,田辺の書簡,往信は,そこここで保管されているのである.既に述べた野上,唐木,下村宛以外のものとしては,翻訳家鹿野治助宛の書簡35通が研究者により個人的に保管されており,当アーカイブでもそのコピーを譲り受けている.また,古書市場で売買されていた務台理作宛の書簡の内,二通が京大文学研究科情報・史料学専修により取得され,同研究科貴重書書庫で保管されている.また,神戸に木村久男に関連する田辺の書簡が存在することが,有田芳生氏のブログで報告されている.おそらくは,同様に多くの田辺元往信が,往信受信者の子孫により所有・保管されているものと想像できるのである.

田辺は現在忘れ去られた哲学者である.また,田辺没後50年の現在,受信を保管していると思われる,受信者の子孫たちも世代が変わり,その書簡の重要さの認識が薄れつつあると推測される.この様な状況から考えれば,特に,務台宛の書簡が古書市場で流通していたことからすると,田辺往信を記録するための悉皆調査は,将来の日本近代思想史研究のために,緊急かつ重要なのである.もちろん,これには膨大な努力と時間が必要とされる.また,資金の裏付けも必要である.本アーカイブは,現在そのような裏付けを欠くが,細々ながらも,この悉皆調査を開始する予定である.

また,下村所蔵田辺来信書簡リスト以外にも,田辺からの往信は存在するに違いない.実際,上記,有田芳生氏のブログで報告された書簡に対応する来信は,このリストにはないように思われる.同様に,このリストからは辿り着けない田辺往信は,少なくないのかもしれない.そのような書簡についての情報も収集しなくてはならない.もし,このページを見た方が田辺元往信を所有しておられるならば,あるいは,その存在をご存じならば,是非とも,本アーカイブまでご一報を頂きたい.

群馬大GAIRの田辺史料

群馬大学田辺文庫所蔵の史料の内,すべての日記を含む,かなりの点数が電子化されており同大学デジタルレポジトリGAIRで公開されている.

GAIR資料
オリジナル原稿21件(出版された文書の原稿であり学術的価値は低いが読みやすい.)
手帳 103件(手帳型の日記)
直筆ノート(読書ノートや講義聴講ノートと思われる.ハイデガーのOntologie講義のノートが注目される.)

しかし,GAIRには多数ある講義ノート,特殊講義推敲メモ,など,情報を最も多く含みながら,未出版の史料が含まれてない.また,電子化の時期が比較的早かったため,画像はマイクロフィルからとった低解像度モノクロ画像である. そのため画像品質の問題で十分読めない場足も多い.たとえば,日記の鉛筆書きの部分はGAIR画像では不鮮明な場合が多い.また,田辺は日記や特殊講義推敲メモでは青鉛筆,赤鉛筆を使うが,これら色の情報が失われている.そのため,本アーカイブでは, GAIRにない史料を中心に画像を提供するものの,同レポジトリと重複する史料でも高解像度カラー画像として提供する.また,当アーカイブでは,田辺元史料研究会により行なわれた翻刻データや,手書き史料の画像検索用データ も提供する.しかし,特に日記など本アーカイブでは,まだ画像化できていないがGAIRには公開されているもので田辺研究に重要なものは多い.資料を探す時は両方を探すことを勧める.

史料画像の作成について

本アーカイブの田辺史料画像は,京都大学文学研究科情報・史料学専修,および,科学研究費補助金プロジェクト“西田哲学・田邊哲学のテキスト生成研究”により作成されている.現在,数千枚の画像が蓄積されている.実際の撮影者は専門業者と林晋である.予算が十分でないので林も撮影しているが,専門家の撮影のような品質には達していない.しかし,史料研究には十分であろう.撮影の改善すべき点など利用者からご教示願えれば幸いである.

著作権と利用方法について 2014.10.05 更新

すでに著作権が切れてから久しい西田の場合と異なり,田辺の著作権は本アーカイブ開設時にはまだ有効であった.当然,個人情報の問題も,西田のケースより大きい.このため,当初は無条件の公開は行なわず,サンプルのみを公開し,田辺の著作権を保有していた田辺賞設置委員会が許可を出した利用者には, 本アーカイブ所有の全ての画像を提供する方針であった.その後,著作権が切れて2年近くが経過し,また,大きな問題もなく公開がおこなれて来たため,2014年10月より,徐々に問題のない資料を公開する方針となった.卒用論文,博士論文の評価下書きなどは今度も本アーカイブでは公開を控える.ただし,それらも群馬大図書館の許可をえれば同館で閲覧可能である.田辺史料は膨大であるため,公開は順次行うこととなる.また,田辺史料は,PDFファイル, JPEGなどの画像ファイルのZIPアーカイブ,および,史料研究用ツールSMART-GSによる利用を基本としている.その方法は,本アーカイブのマニュアルの田辺史料の項目を参照して欲しい.

史料一覧 (史料利用方法) 2015.07.25 更新

現在カラー画像やDSCファイル,翻刻を提供可能な史料の一覧である.下の表の行番号欄の背景が黄色のものは,PDFなどで全体をダウンロードできる.徐々に全公開する史料を拡大する予定だが,手間がかかるので,すぐには出来ない.公開されていない史料の利用を希望する研究者の方は本アーカイブに連絡を取っていただきたい.また,史料利用を希望する際には,混乱をさけるために必ず以下の表の史料番号で史料を参照すること.

また,田辺研究は常に進んでおり,このリストに掲示されていない史料も存在する.特に昭和9年講義録の翻刻は常に増えている.どのような史料や翻刻があるかは本アーカイブに問い合わせていただきたい.

全公開史料の作業予定: 0005(2014.10.05), 0022, 手帳

表の項目の説明:

史料番号 この表における参照のための番号

群馬大文庫史料名 群馬大学田辺文庫和漢書目録 pp.139-147の 雑誌掲載論文, 原稿, 手帳, ノートでつけられている名称

群馬大文庫番号 同上での番号

GAIR 同じ資料がGAIRに収録されているか(有)否(無)か.

説明 史料の説明とサンプル画像.説明中の,全集「田辺元年譜」,とは田辺元全集第15巻p.477-490の田辺の年譜のこと.

行番号
史料番号
群馬大文庫番号
GAIR
説明
0001 1210090001 ta-1 昭和5年特殊講義「心身関係論」のメモ.「心身関係論」は全集「田辺元年譜」でのタイトル.おそらく,それが講義の正式名だったのだろう.サンプル画像1のように田辺自身は「心身の関係」としている. サンプル画像1 サンプル画像2
0002 1210090002 ta-2 昭和6年特殊講義「心身関係論」のメモ.全集「田辺元年譜」によれば,昭和6年特殊講義は前年と同じ「心身関係論」だった. 群馬大文庫タイトルは「種々の備忘録」となっているが,これは史料一枚目(サンプル画像1)に色鉛筆で年度とともに,そう書いているからだろう.しかし,2枚目(サンプル画像2)の右には,昭和6年4月という記述が見える.可能性としては,一枚目は講義推敲メモではなく,講義推敲メモは2枚目から始まるのかもしれない.2枚目からの内容は確かに Antholopologie である. サンプル画像1  サンプル画像2
0003 1210090003 ta-3 昭和7年特殊講義「世界図式の構造」のメモ. 1枚目(サンプル画像1)に Struktur des Weltschemas の記述が見える.サンプル画像1 サンプル画像2
0004 1210090004 ta-4 昭和8年特殊講義「認識・存在・行為」のメモ. 1枚目(サンプル画像1)に「認識・存在・行為」 の記述が見える.サンプル画像1 サンプル画像2
0005 1210090005 ta-5 昭和9年特殊講義「認識の形而上学」のメモ.講義推敲メモには Metaphysik der Erkenntnis の文字が見える.種の論理が誕生した昭和9年の特殊講義の推敲メモ.53枚の原稿用紙からなる.田辺元史料研究会により2015年7月時点で17枚の翻刻が進んでいる(同会についての情報と、2015年7月の公式配布翻刻ファイルは、こちらを参照).サンプル画像1 サンプル画像2  
全資料53枚PDF  全資料53枚JPEG版ZIP SMART-GS用データ(画像53枚と検索用データ、行きりだしデータ)ZIP
0006 1210090006 BoxA-Left (これを含め,以下三つは本アーカイブによる命名. BoxA-Left, BoxA-Middle, BoxA-Right という史料名は,代表林が最初に,これらの史料を調査した2009年9月,一つの箱に,これら三つの文書がまとめて入れられていたため.Middle はほぼ確実に同定できるが,他の二つは何か分かっていない.特にLeftは,途中で一ページだけが縦書きになる.その前後の横書きの史料はインクの色が異なるなどから,一つのまとまった史料ではなく,三つ程度の史料が合わさっている可能性が高い.サンプル画像1 サンプル画像2 サンプル画像3
0007 1210090007 BoxA-Middle 「実存哲学対現実哲学 1939」の文字が見える.1939年の特殊講義の,題名が「実存哲学対現実哲学」なので,この年の特殊講義の準備メモであろう.この年の講義の名前を冠した資料は,群馬大学の目録には存在しない.サンプル画像1 サンプル画像2
0008 1210090008 BoxA-Right 特殊講義準備メモと思われるが,何年の講義に対応するか不明.サンプル画像1 サンプル画像2
0009 1210090009 ta-22 「意識の歴史的社会的構造」という表題が見える.詳細は不明.サンプル画像
0010 1210090010 ta-26 「哲学概論」という表題が見える.詳細は不明.サンプル画像
0011 1210090011 ta-41 「現実について」というタイトル.内容は講演原稿と思われるもの.田辺の手によるものではないものでおそらく清書と思われるものと田辺の下書きが入っている.詳細は不明.講演「歴史的現実」とは,少なくとも出版されたバージョンを比較すると大きく異なる. サンプル画像1 サンプル画像2 サンプル画像3
0012 1210090012 ta-57 昭和6年配本開始の「岩波数学講座」の付録として書かれた小冊子「数学ト哲学トノ関係」の原稿.出版されたものとは細部が異なる.サンプル画像1 サンプル画像2 サンプル画像3
0013 1210090013 ta-58 卒論へのコメントや,博士論文審査報告書. 北森嘉蔵の卒論, 高山岩男,下村寅太郎の博士論文など.サンプル画像は省略する.
0014 1210090014 ta-63 「第3学期ノ部」という表題が見える.詳細は不明.サンプル画像
    ta-69   「雑稿」という名称のもとに,いくつもの異なる種類の史料が ta-69 に纏められている.内容が判明しなかったものが,すべて,ここに纏められたと思われる.懺悔道のころのものと思われるものなど, 第2次世界大戦中のものが入っているものと思われるが,現在の処,解読できていない.量・内容ともに重要な史料と思われる.研究が必要.また,ナンバリングや,文書の分割にも多くの問題がある.この表の番号も,今後変更する予定.暫定であるために暫1などとご名付けている.
0015 1210090015 ta-69-暫1 (以下,暫とついたものは,本アーカイブによる名称) 雑稿の内の一つ. ta-69-1に はドイツ観念論の思想に載せながらも,「顕現ノ論理」「献身報国」などの言葉がみえ,国家と死について記述が多い.また,「懺悔」の文字も見える.しかし,それは中心にはなく,おそらく懺悔道以前.「死生」という文字も見えるので講演「死生」の準備草稿の可能性もある. サンプル画像1 サンプル画像2 サンプル画像3
0016 1210090016 ta-69-暫4 雑稿4. サンプル画像
0017 1210090017 ta-69-暫5 雑稿4. サンプル画像
0018 1210090018 ta-69-暫6 雑稿4. サンプル画像
0019 1210090019 ta-69-暫8 雑稿4. サンプル画像
0020 1210090020 ta-69-暫9 雑稿4. サンプル画像
0021 1210090021 ta-69-暫10 雑稿10 このファイルには異なる数点の文書が収められている. サンプル画像1 サンプル画像2 サンプル画像3
0022 1210090022 tc-1 田辺が留学中に聴いたハイデガーのOntologieの講義についてのノートと思われる.講義を聴きながら記述したものか,ハイデガーによる個人教授の内容を記録したものかは分かっていない. サンプル画像1 サンプル画像2. GAIR資料: このGAIR資料は画像鮮明でドイツ語本文を読むだけならb本アーカイブのカラー画像を利用する必然性はない. しかし, マージンに書かれた日本語コメントはGIAR資料では読めない. 本アーカイブの画像でも難しい場合もある.



手帳

百冊余の手帳に書かれた日記あるいはメモ.スケジュール欄に主に哲学上のアイデアが書かれている.時に哲学以外の記述もみられる:例:1945年8月15日水曜日 日本無条件降伏. 正午主上放送. 痛憤.各冊の終わりには家事の記載も(印税など収入の計算,購入書籍のリスト).この資料群には推敲用メモ,夫人の住所録など,日記ではないものも数冊混じっている.GAIR資料 GAIR資料で十分読めるものが多い.しかし,GAIRのマイクロフィルム画像ではほとんど読めない場合もあり,また,読める場合も当アーカイブのカラー画像の方が読みやすい.色鉛筆も使われているが,GAIRの資料はモノクロ.一部の手帳でGAIRにはないものがある.
0023 1210090023
(4) 大正12年〜大正13年(1923-1924) ドイツ留学の期間 サンプル画像 サンプル画像 サンプル画像
0024 1210090024 (18) 昭和8年8月 サンプル画像  サンプル画像  
0025 1210090025 (19) 昭和9年5月  サンプル画像 サンプル画像
0026 1210090026 (20) 昭和10年1月  サンプル画像 サンプル画像
0027 1210090027 (21) 昭和10年11月〜昭和11年3月  サンプル画像 サンプル画像
0028 1210090028 (22) 昭和11年5月  サンプル画像  サンプル画像
0029 1210090029 (23) 昭和11年11月〜昭和12年3月  サンプル画像 サンプル画像
0030 1210090030 (24) 昭和12年4月〜昭和12年6月  サンプル画像 サンプル画像
0031 1210090031 (25) 昭和12年7月〜 サンプル画像  サンプル画像  サンプル画像
0032 1210090032 (26) 昭和13年1月〜昭和13年6月 サンプル画像  サンプル画像  サンプル画像
0033 1210090033 (27) 昭和13年7月〜昭和13年12月 サンプル画像  サンプル画像  サンプル画像
0034 1210090034 (28) 昭和14年1月〜昭和14年6月 サンプル画像  サンプル画像  サンプル画像
0035 1210090035 (29) 昭和14年7月〜昭和14年12月 サンプル画像  サンプル画像 
0036 1210090036 (30) 昭和15年1月〜昭和15年4月 サンプル画像  サンプル画像 
0037 1210090037 (31) 昭和15年5月〜昭和15年9月 サンプル画像  サンプル画像 
0038 1210090038 (32) 昭和15年10月〜昭和16年1月 サンプル画像  サンプル画像 
0039 1210090039 (33) 昭和16年2月〜昭和16年5月 サンプル画像  サンプル画像  サンプル画像
0040 1210090040 (34) 昭和16年5月〜昭和16年9月 サンプル画像  サンプル画像 
0041 1210090041 (35) 昭和16年9月〜昭和17年2月 Notes of Conversion サンプル画像  サンプル画像 
0042 1210090042 (36) 昭和17年3月〜昭和17年4月 サンプル画像  サンプル画像  サンプル画像
0043
1210090043
(37) 昭和17年5月〜昭和17年9月 サンプル画像  サンプル画像  サンプル画像
0044 1210090044 (38) 昭和17年10月〜昭和17年12月 サンプル画像  サンプル画像 
0045 1210090045 (39) 昭和18年1月〜昭和18年8月 サンプル画像  サンプル画像 
0046 1210090046 (40) 昭和18年9月〜昭和18年12月 サンプル画像  サンプル画像 
0047 1210090047 (41) 昭和18年12月〜昭和19年5月 サンプル画像  サンプル画像 
0048 1210090048 (42) 昭和19年5月〜昭和19年7月 サンプル画像  サンプル画像 
0049 1210090049 (43) 昭和19年8月〜昭和19年9月 サンプル画像  サンプル画像 
0050 1210090050 (44) 昭和19年9月〜昭和20年5月 サンプル画像  サンプル画像 
0051 1210090051 (45) 昭和20年6月より サンプル画像  サンプル画像 
0052 1210090052 (46) 昭和21年1月〜昭和21年9月 厳冬の北軽井沢で書斎のインク壺のインクが凍ったという逸話が知られているが,サンプル画像3に「万年筆握る手凍えインキ凍る今朝の寒さよ物書くは辛き(一月三十日)」 という記述がみられる.サンプル画像  サンプル画像  サンプル画像3
0053 1210090053
(47) 昭和21年9月〜昭和21年12月 サンプル画像  サンプル画像 
0054 1210090054 (48) 昭和21年12月〜昭和22年2月 サンプル画像  サンプル画像  サンプル画像

京都大学田辺元史料研究会 2014.10.05 追加

京都大学田辺元史料研究会は,京都大学文学研究科・文学部のメンバーからなるグループで,資料番号1210090005の昭和9年講座(特殊講義)の準備メモの解読を続けている.この資料を始めとして,特殊講義の準備メモは田辺が自分自身のためにのみ書いたと推測され,手帳など他の史料とは比較できないほど極めて難読である.哲学に限らず,現代の史料の中でも例外的に難読な史料といえる. しかし,それは多くの情報を含んでおり,すでに同会の翻刻活動により,マック・シェーラーの知識社会学からの影響,最初,批判実在論の検討という当時に意味での論理学についての研究であり学政治哲学,社会哲学としての意図があまり見られないが,やがてその政治性が認識され,ファシズムの論理として種の論理が誕生する.それが,9年の夏休み以前であった,など,従来知られていなかった種の論理の起源に関する,幾つかの重要な事実が判明している(林晋、「情報の宝庫 二つの田辺文庫」).

京都大学田辺元史料研究会は,田辺元研究を志すすべての人達のために,この翻刻研究の成果を随時公開する: lectureNotesS09_20141016.gsx (田辺元昭和9年特殊講義準備メモ翻刻2014.10.16版)

この翻刻は作業途中の資料であり,それに誤りが含まれる可能性は,出版される学術資料より高いことをご注意願いたい.誤りと思われるものを発見した方は,是非,同会代表の林晋に,ご一報いただきたい(アドレス等は,こちらを参照).この資料の翻刻の@は,読めなかった字,あるいは,文字列を表す.その数は推測であり,正確に読めない文字の数を反映しているのではないことに注意して欲しい.

copyright:このコーナーで配布する京都大学田辺元史料研究会作成の gsx ファイルでは,翻刻自体が多くの分析・解釈を含む著作物である.また,それは京都大学田辺元史料研究会によるコメントを多く含む.よって,gsx ファイル全体が著作物であり,京都大学田辺元史料研究会が,その権利を有している.本 gsx ファイルとその内容は出版された学術論文やWEB上公開された原稿と同じく扱われなくてはならない.特に,本資料の商用利用に際しては,必ず本会の同意を取る必要がある.

研究会会員(2014.10.05現在):林晋(代表),橋本雄太,秋田慧,小林悟空,秋元瑞紀

名誉会員:久木田水生,中嶋優太,小林道央,土屋琢,八杉満利子,瀬戸勇紀

参考情報

哲学者田中裕のエッセイ
田辺元記念「求真会」ホームページ.講演会を開催
京大文学研究科日本哲学史専修
Wikipediaの田辺元の項目
毎年開催される西田と田辺を記念する講演会
当アーカイブ初代代表のブログのカテゴリー「田辺元」