西田幾多郎

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石川県西田幾多郎記念哲学館の瞑想の空間

西田幾多郎-石川県西田幾多郎記念哲学館

公開日
2017/03/30
取材日
2015/10/20

故郷に建つ、世界唯一の哲学ミュージアム

2015年10月20日(火)、『金沢ふるさと偉人館』を後にして、河北郡宇ノ気村(現かほく市)の『石川県西田幾多郎記念哲学館』に向かった。金沢駅から電車で約25分。JR七尾線の宇野気駅で降りると、駅前で西田のブロンズ立像が出迎えてくれる。

石川県かほく市駅前に立つ西田のブロンズ像

駅から歩けば約20分。のどかな街並みを抜けた小高い丘の上に、『石川県 西田幾多郎記念哲学館』がある。世界で唯一の“哲学”をテーマとしたミュージアムだ。

京大出身の研究員・中嶋優太くんが駅まで迎えに来てくれたので、私は直接建物の近くまで車で移動したが、一般的には駐車場の横にある「思索の道」と名付けられたアプローチをのぼっていく。うねりながら辿る道の途中は樹木でおおわれていて、歩きながら思索にふけるにはもってこいのようだ。このアプローチは、あるところまで到達するとようやくガラス張りの外観が見えてくる造りになっているという。建物は、高名な建築家・安藤忠雄氏による設計。テーマは“考えること”だそうで、迷路のように入り組んだ館内の複雑な構造がおもしろい。ここは建物自体の見学だけでも十分に楽しめる。

哲学館の外観

哲学館の前身は、1968年(昭和43年)に建てられた『宇ノ気町立 西田記念館』。年月をかけて西田の様々な史料が寄贈・収集され、その記念館が手狭になったことから新しい施設を造ることになり、2002年に現在の施設がオープンした。哲学館は、展示室がある『展示棟』と、図書室・ホール・展望ラウンジ・喫茶室などを備えた『研修棟』に分かれていて、研修棟のみの利用なら、観覧料は必要ない。

さっそく『展示棟』の見学へ。前館長の大木芳男さん(2017年3月現在の館長は、浅見洋さん)、キュレーターの山名田沙智子さん、研究員の中嶋くんの3人に、館内をくまなく案内していただいた。

向かって左から、研究員の中嶋くん、キュレーターの山名田沙智子さん、前館長の大木芳男さん

展示室は3つのコーナーに分かれている。まずは1階にある「哲学へのいざない」から。西田をはじめとする古今東西の思想家たちの言葉が散りばめられていて、自分の頭で考えるきっかけをつくってくれる。西田が揮毫した“円相(円は禅宗で悟りの境地を表す)”が立体的な造形展示になっていたり、哲学者たちとの会談ゲームを楽しめるタブレットが用意されていたりと、視覚的・体験型の仕掛けも多くユニークだ。

西田揮毫の円相に腰掛ける中嶋くん

続いて2階は「西田幾多郎の世界」。ここは西田の人生や人となりを紹介する展示室で、西田の遺品、直筆原稿、書簡といった史料が200点以上もずらりと並んでいる。通常の博物館のようにガラスケース内に陳列されている扁額や著書、写真などのほか、ラベルを貼った引き出しがいくつもあり、その中には直筆の(一部複製もあるが)原稿や書簡が収められていた。たとえば、西田を崇敬して旧制一高からわざわざ京都帝大に進んだ弟子の三木清や、京大法科の学生時代に西田宅をよく訪れていた政治家・近衛文麿からの手紙なども、引き出しを開ければ誰でも間近に見ることができる。

ずらりと展示された西田史料

引き出しに収められた史料

弟子の三木清からの手紙

なかなか工夫が凝らされた展示で楽しい。また、西田が晩年を過ごした鎌倉に歌碑を建立する際の“発起人・賛助者名簿”も展示されており、京都学派の哲学者で文部大臣を務めた天野貞祐や、今上天皇の皇太子時代の教育係だった小泉信三、作家の川端康成など、そうそうたるメンバーが名前を連ねていて興味をそそられた。

そうそうたるメンバーが名を連ねる名簿

1階と2階の展示室の間には吹き抜けがあり、そこに掲げられた高さ約4mの大きなタペストリーには、《哲学の動機は「驚き」ではなくして 深い人生の悲哀でなければならない》という、西田の有名な言葉が記されている。ちなみに、私はこの言葉を哲学館で知り「こういうことを語る哲学者なのか」と少なからず驚いた。哲学館を訪れた当時、じつは田辺元の研究が中心だったこともあり、まだあまり西田の人生や人となりを掴んでいなかったのだ。その後、京都に戻ってから不思議な巡り合わせで田中上柳町の旧西田邸解体保存活動に携わることになって、あらためて調べていくうちに、実家の破産や家族の不幸が続く前半生を知り、「西田という人は本当に悲哀の哲学者なのだ」と実感することになる。

哲学の動機は「驚き」ではなくして 深い人生の悲哀でなければならない

さて、3つめの展示室は「西田幾多郎の書」。地下1階にあり、西田が詠んだ多くの和歌や書が展示されている。ちなみに、地下の収蔵庫にも特別に入らせてもらった。もちろん一般には非公開。中には、掛け軸が入っているらしい箱や、西田が着ていた“とんび(マント)”などが置いてあった。現在、哲学館に収蔵されている西田関連の資料は約●●点。定期的に展示替えされているようで、軸の箱には“展示中”のラベルが貼ってあるものもあった。

特別に入らせていただいた収蔵庫

3つめの展示室からは、「空の庭」と呼ばれる天井のない吹き抜けスペースに出られる。四方を壁に囲まれただけの空間で、仰ぎ見るとまるで四角く切り取られたような空がある。ここも思索を巡らせる場になるのだろう。また、『研修棟』の方に移動すると、その一角には「ホワイエ」という印象的な空間があった。こちらはすり鉢状の吹き抜けで、まるい天窓から太陽の光が差し込んでくる。見上げているだけで、心が開放されるような無になるような、なんともいえない不思議な気持ちになった。ホールもあるが、ここに椅子を並べて音楽会などのイベントをすることもあるらしい。

印象的な建物。すり鉢状の吹き抜けが頭上に広がるホワイエ

屋外へ出て『骨清窟』の見学に向かう。これは、京都の田中飛鳥井町にあった旧西田邸の書斎を移築・修復したもの。飛鳥井町の旧西田邸は、1922年(大正11年)に、当時の三井財閥当主の好意によって寄贈された。三井財閥の嗣子・高公が京都帝大に入学する際、西田が保証人になったことが縁を結んだようである(詳しくは、福井工業大学の市川秀和さんの論文を参照されたい)。木造和風2階建ての母屋に、離れのような形で洋風の書斎が設けられた、いわゆる大正モダニズムの建物。それまで借家住まいであった西田にとっては、この飛鳥井町の家が初めての持ち家であり、ここが“哲学の現場”となっていく。西田の没後、この家は1970年代の初め頃まで西田の三女が住んでいたが、1974年に取り壊しが決定。書斎部分のみが、かほく市(当時は宇ノ気町)へと寄贈され、旧西田記念館で大切に保存されていた。その後、2003年に国の登録有形文化財の認定を受け、2010年、哲学館の敷地内に移築されて現在に至る。

西田がかつて過ごしていた書斎を移築した『骨清窟』

移築時、床材などは西田が暮らしていた頃のものとは異なっていたらしいが、哲学館に移築された後、キュレーターの山名田さんたちが丹念に調べて、昔の素材を復元したという。写真などを参考にしながら、なるべく当時のままに再現したそうだ。収蔵庫と同様、『骨清窟』の内部は一般公開されていない。本来はガラス窓越しに中をのぞくことしかできないのだが、ここも特別に入室させてもらった。西田の蔵書や愛用した机、書棚、暖炉、調度品などが、往時の雰囲気を物語っている。ここに置かれた椅子に西田が座っている写真はたくさん残されていて目にしたことがあるため、特に感慨深い。

特別に入れていただいた骨清窟の室内

西田の蔵書がずらりと並ぶ

西田が愛用した机、大木さん、中嶋くんと共に。

館内の話に戻るが、哲学館内にはミュージアムショップがあり、子ども向けの西田の伝記や漫画、西田をテーマにしたポストカード、一筆箋といったグッズが販売されている。また、同館では定期的に哲学講座や講演会、ユニークなイベントを開催しており、子どもから大人まで哲学に親しむ機会を設けている。さらに、前述したように小高い丘陵地にあるため、眼下に見渡す開放的な眺望がすばらしい。建物までのアプローチは自然に囲まれていて、季節ごとの風景の豊かな移り変わりも容易に想像させてくれる。春や秋は散策目的で訪れる人も多いに違いない。哲学をテーマにしているミュージアムでありながら、市民の憩いの場、観光スポットとしても大きな役割を果たしているように感じた。おそらく多くの人にとって、西田幾多郎という哲学者や、哲学そのものを身近に感じるきっかけになるだろう。

朗読CDや公式パンフレット

定期的に開催されている哲学講座や講演会の資料。非常に分かりやすくまとめられている。

ちなみに、今回の訪問時に駅まで迎えに来てくれた中嶋くんは京都大学の日本哲学史専修の出身で、私は彼の修士論文の副査を務めたという縁がある。講義にもよく出てくれていた。やさしい容貌でいつもニコニコしているが、時にはするどい意見も述べる優秀な学生だった。大学院を修了後も何かと交流の機会はあり、田中上柳町の旧西田邸を解体する際にも何度か京都に来てくれている。現在は哲学館の研究員というポジションだが、キュレーター的な役割も担っているらしく、イベントの企画・開催や講師などを務めることもあるようだ。

優秀な若い研究者、キュレーターがいる哲学館

山名田さんは哲学館のすべてを知り尽くした頼もしいキュレーターで、ここの立ち上げから関わっていると聞いた。哲学の研究者ではないが、西田の情報に非常に詳しい。『骨清窟』の移築・修復にも大いに力を発揮されたようである。また、2016年の11月に亡くなった西田幾久彦さん(西田の孫)からも全幅の信頼を得ていた。幾久彦さんは、世間から「西田幾多郎の孫の…」と言われたり特別視されたりすることを、非常に厭う方だった。そのため、幾久彦さんへのコンタクトを望む場合には、山名田さんが窓口となっていたのだ。私も一度だけ幾久彦さんと電話でお話しさせてもらう機会があったが、この時も山名田さんが間を取り持ってくれている。

本取材にご協力いただいた方

編集部一同、ご協力に心より感謝申し上げます。
石川県西田幾多郎記念哲学館 公式サイト

  • 大木 芳男 様

    大木 芳男 様
    哲学館 前館長

  • 山名田 沙智子 様

    山名田 沙智子 様
    哲学館 学芸員

  • 中嶋 優太 様

    中嶋 優太 様
    哲学館 研究員


本探訪レポートは、訪問者 林 晋の口述を元にして、林監修のもとでライター高橋順子が原稿を作成しました。

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