三木清の哲学は実に多彩な側面を持っている。歴史哲学、人間学、宗教論、”唯物論”、等々、様々な角度から三木の哲学を特徴付けることが可能であろう。多様な変転をとげる三木の思索に一貫して流れているのは、三木自身が好んで用いた表現を借りれば、ロゴス的なものとパトス的なものをめぐる問いである。
論理的な把握からはこぼれ落ちるパトス的なものを、いかにしてロゴス的なものに至らしめるのか、三木が生涯問い続けたのはこの問題であったということが出来るであろう。パトス的なものといっても、三木においてそれは単に個人の内面性にとどまるものではない。それは存在そのものの非合理性を意味している。また、ロゴス的なものといっても、それは対象的論理を指しているのではなく、存在の非合理性が合理性へともたらされる構造性、いわば存在の自己表現のあり方を意味している。パトス的な深淵に沈潜して言説を放棄するのではなく、あくまでもそれにロゴス的な表現を与えようとしたところに三木の哲学の魅力があると言ってよいだろう。
処女作『パスカルに於ける人間の研究』においては、パトス的なものは不安の内にあって揺れ動く人間的生として描き出されている。三木によれば、人間の存在は宇宙全体に対しては取るに足らない微小な存在であるが、同時に虚無に比すれば一個の世界であり全体である。このような人間的生を三木は全体と虚無との中間的存在として捉える。パスカルのいう人間の「偉大さ」と「惨めさ」は、この全体と虚無の間にあって絶えずさまよう中間者としての人間的生の構造にその根拠をもつ。この中間者としての人間という思想が三木の人間学の基底をなしており、またそれは遺稿『親鸞』に至るまで三木に一貫して流れている人間観であったと言える。
パトスとロゴスをめぐる問題は、三木がマルクス主義の人間学的基礎付けを試みていく時期においてより明瞭なかたちとなって現われてくる。ここにおいて三木はパトス的なものを「基礎経験」という言葉で表現している。それは、ロゴスの支配から自由であり、却ってロゴス的なものがそこから生産されていく根源的な経験を意味している。そしてこの際に特徴的なことは、三木はロゴス的なものとしてイデオロギー(第二次のロゴス)と同時にアントロポロギー(人間学/第一次のロゴス)を想定し、「基礎経験」がイデオロギーへと至るのはあくまでもこのアントロポロギーを介してであるという構造を解明していることである。したがって、イデオロギーとしてのマルクス主義、唯物史観の内においても、「基礎経験」に裏打ちされた”人間とは何であるのか”という人間学的問いが秘められているということになる。これが三木の提示したマルクス像であった。この三木の主張は、マルクス主義と哲学の間に通路を切り開いたものとして極めて重要な思想史的意義をもっているといえる。西田幾多郎や田辺元などが積極的にマルクスを問題としたのも、この三木の議論に影響するところが大きいと考えられる。
ところで、三木が「基礎経験」と規定したパトス的なものには、存在の歴史性が含意されている。この問題を積極的に展開したのが『歴史哲学』である。通常歴史の概念は、その言葉の二義性から、叙述された歴史(「ロゴスとしての歴史」)と出来事としての歴史(「存在としての歴史」)とに区別されて考えられているが、ここで三木はそれらに加え新たに「事実としての歴史」という概念を提示する。それは端的に言って、歴史の「基礎経験」であり、出来事としての歴史の根底に存しそれを生み出すところの「原始歴史」である。
そして三木は、この「事実としての歴史」という概念において行為の立場を明確に打ち出している。三木によれば、「事実」(Tat-sache)とは、「行為」(Tat)と「物」(Sache)が直ちに一つであるということを意味している。このように歴史の根源性を行為に求めるといっても、三木において行為は単なる主体の倫理的決断でもなければ、<主―客>の分離を前提とした主体の客体への働きかけでもない。行為は常に「物」と切り離すことが出来ないというのが三木の洞察である。このように言えるのは、行為的自己がとりもなおさず身体的・感性的自己であるからだと三木は考える。しかも、そのような自己における行為が歴史の根源性であるのは、我々の身体が単なる個人的な身体ではなく既に「社会的身体」としての性格を持っていることによるというのが三木の考えである。ここに三木は歴史におけるパトス的なものを見ている。
三木のこのようなロゴスとパトスをめぐる思索、あるいは存在の合理性と非合理性をめぐる問題は、大きく言えば当時の日本の哲学者に共有されていたものであったと考えられる。ロゴス的把握からは常に漏れ出ていてこれに逆らい続けるもの、ロゴスの圏域を越えたもの、これをいかにして語るのかという問題に肉迫したのが、西田幾多郎の「絶対無の場所」であり、田辺元の「絶対媒介の論理」であり、あるいは九鬼周造の偶然性をめぐる思索であったと言うことが出来るだろう。これらの哲学者の中にあって三木の哲学の独自性が主張されるのは、この問題に迫るための立脚点を三木が具体的に構想力に求めたという点である。このことが展開されているのが『構想力の論理』である。
ここにおいて三木はそれまでのロゴスとパトスをめぐる問題を、ロゴスとパトスの統一の問題として明確化している。そして、カントが構想力に両者全く異質な感性と悟性を結合する機能を認めたことを念頭に置きながら、この概念を拡張し、それを歴史的場面においてロゴスとパトスとを結合する”歴史の”構想力として捉えようとしている。
また、このような「構想力の論理」は三木においては同時に「形の論理」として考えられている。これによって歴史は形から形への変化、メタモルフォーゼであると主張される。さらに三木は、自然も技術的であり「形」を作るとして、自然の根底にも「形」を想定し、自然史と人間史を構想力の論理によって統一するという壮大な試みを提示している。
このような「形の論理」を可能にするものとして三木が強調するのは制作(ポイエーシス)的行為の立場である。しかし、制作といっても単に芸術的活動を意味する狭い概念ではなく、広く人間の行為が「形」に働きかけそれを作り変えていく能力として理解されている。
このような「形の論理」、制作的行為の立場は、三木自身が認めているように極めて西田哲学に近いものである。このことは三木が自らの「構想力の論理」を「行為的直観」の立場に立つものとしていることからも明らかである。しかし同時に三木は、西田の「行為的直観」を「心の技術」にとどまるものとして観想的立場に陥る危険性を有していることを指摘している。このことから三木がこの『構想力の論理』において西田哲学の具体化、乗り越えを試みていたと推測できるかもしれない。しかし、もしそうであるとすれば、果たしてそれはどのような意味においてなのか。この問題は現在においてもさらなる解明が必要とされる問題であるということが出来よう。また、遺稿『親鸞』がこの『構想力の論理』とどのようにつながるのかという問題についてもそうである。三木の哲学において残された問題は多い。
『構想力の論理』は三木の死によって未完のままで終わっている。上に挙げた問題もこのような制約によるところが大きい。しかし、そうであるからこそ却ってこの『構想力の論理』は我々の”想像力”を刺激する魅力的な書であるとも言えるだろう。未完の三木哲学をいかに発展・継承していくのかということは我々に残された大きな課題である。
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