戸坂は「京都学派」という呼称を最初に与えた人物として知られており、「「無の論理」は論理であるか」等の西田への批判論文もある。しかしながら西田、田辺らの戸坂の評価は高かったとされており、西谷啓治との親交もあつい。とりわけ田辺との関係はごく近しいものであったようであり、田辺が弁証法研究へ向かうきっかけをつくったのも戸坂、三木らとの対話であった。
戸坂の仕事は、時局に対応した批評論文と、主に啓蒙的な意図から執筆された唯物論の原理的な解明にかかわる論文とに分けることができる。しかし両者は画然と分かたれるのではなく、密接に結びついており、またその主著が『日本イデオロギー論』とされる場合が多いことからもわかるように、むしろ彼の仕事の最終的な目的は時局への批評、イデオロギー批判にあったと言えよう。戸坂の哲学理論についてのスタンスは、その常識ないし日常性の考察からもうかがうことができる。
戸坂の思想にとって常識ないし日常性の原理に根ざしていることは重要な要素の一つとなっている。日常性の原理を超えることを訴える哲学理論にあってそれは特異な主張に見えるが、戸坂はまたスコットランド常識哲学のような意味でそう言うのでもない。戸坂によるとT・リード的な常識は一定のテーゼの形を成したドグマが公理として常識の内容となるようなものにすぎず、その内容は固定的保守的なものにすぎない。それに対して戸坂は、常識を単なる知識量の総和やその平均値ではなく、或る質的な水準と考える。即ち、平均を常に超出することこそが常識水準には求められるのであり、かくして常識的ということは、平均値を高めるべき標準ないし理想と理解される。このような常識に立脚するということが、日常性の原理に立つことであり、特に時局に対する実際性を有するということであって、唯物論はこうした立場に立たねばならないと言うのである。(以上『日本イデオロギー論』所収「常識の分析」より)
唯物論の原理的な解明、解説に於いてもこうした立場は明確である。戸坂の認識論はカントの物自体を、実践を通じて認識可能な物質として把握することから説き起こされるが、このような反映・模写が可能であるのは、意識が自然史の或る段階で自然から発生したという原始的同一性に基づく。認識内容は自然科学と社会科学とに分類されるが、この際両者は共軛関係にあり、これらの科学を統一的に体系化するものが唯物論哲学なのである。このようなものとして哲学とは範疇体系(即ち方法ないし論理)に他ならない。(以上『科学論』より)
かくして戸坂にとって哲学は科学の方法としての論理であり範疇の体系なのであるが、こうした規定にはもちろん様々な哲学的問題が孕まれていると言えよう。しかしながら、それは戸坂が哲学を方法として実際に活用し、現にある時局に於いて生かそうと考えたことの現われでもある。戸坂潤研究のアクチュアリティーはこのような批判的立場の読解にあると考えられるが、彼のイデオロギー批判の方法を始めとして、思想史的研究だけでなく、哲学的研究の現代的深化が求められる。
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